伊藤博文 暗殺事件

1909年中国ハルビンにて伊藤博文暗殺される

=暗殺犯・安重根は韓国の立場に立っていた

伊藤博文を暗殺し韓国にとって大きな損失を与えた=

 

 中国政府は、2014年2月19日に初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動家・安重根(アンジュングン)の記念館を、暗殺現場の黒竜江省ハルビン市のハルビン駅に開館した。

 

 2013年6月に韓国パク・クネ大統領が、中国の習近平国家主席にハルビン駅での記念碑設置を求めていました。対日で中韓が共闘し、間違った歴史認識を中韓国民または、世界中へと植えつけようとしています。

 

 日本政府は断固としてこの記念館の閉館解体を強く抗議しなければなりません。

 

伊藤博文という人物

 伊 藤 博 文

(いとう ひろぶみ)

 生没年月日

 1841年10月16日~1909年10月26日

 現在の山口県に百姓の子として誕生したが、後に父が下級武士の養子になり下級武士の身分となった。吉田松陰の松下村塾で学び、高杉晋作らと共に倒幕運動に加わり尊皇攘夷派の志士として活躍しました。

 

 英語が堪能で維新後は外国事務局判事、兵庫県知事、初代枢密院議長、韓国統監府統監、貴族院議長など様々な要職を歴任し、また、内閣総理大臣を4度務めている。

 

暗殺事件

 日露戦争終結後の1905年11月に結ばれた第二次日韓協約により韓国は日本の保護国となった。同年12月、韓国統監府を設置し博文は初代統監に就任した。

 

 このころ韓国は実質的に日本の統治下におかれていた。その後統監の職を辞して帰国していた博文は、世論、政府共に高まっていた韓国併合つまり日本による朝鮮半島支配について「時期尚早である」と反対の立場をとっていた。しかし、韓国国内の抵抗派に手を焼いた博文は暗殺事件前の閣議で日本による朝鮮植民地化を、猶予を設けることで承認した。この態度から博文は韓国国内の恨みを買い、結果として暗殺事件につながることとなる。

 

 明治42年韓国統監府統監を辞し、帰国後枢密院議長に復帰していた博文は、満州・朝鮮問題についてロシア蔵相と非公式会談を行うため、中国ハルビン駅を訪れた。そこでロシア蔵相がロシア鉄道守備隊の閲兵(整列した兵隊を検閲すること)を願い出たため、蔵相の後について車を降り、歩きだしたところを韓国の民族運動家・安重根によって銃撃された。博文はすぐに医師による応急手当を受けたが30分後に絶命した。

 

 伊藤博文という人は、韓国の事を思い、決して韓国を悪い状況へと導いていく人ではなかったのです。その伊藤博文を安重根は間違えて襲撃したのです。間違えて襲撃したというより、安重根本人の政治に関する知識不足や情報不足であったのです。そして、韓国の事を誰よりも考えていた伊藤博文を殺害してしまったのであります。

 

 当時、韓国人からすれば日本人はすべて憎むべき相手だったかもしれないが、博文は決して日本の独裁を推し進めようとしていた人物ではなかった。その頃の韓国の政治といえばよい状況ではなく、博文は韓国の行く末を日本にゆだねることが韓国国民のためであると考えていた。このような韓国の立場に立った数少ない味方を暗殺事件により失ったことは韓国にとって大きな損失と言えるかも知れない。博文の想いの真意が伝わっていればおそらく歴史が変わっていたに違いない。

 

 中国習近平国家主席と韓国パク・クネ大統領は、その間違い殺人事件の犯人を英雄化し、安重根記念館を開館しました。中韓の代表は、真の歴史を知らないのであり、対日運動のネタとして利用しているとしか考えられません。この様な曲がった歴史を正していかなければなりません。

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